子供が勉強できない!それって親にも責任があるのでは。
私は塾などに一切通うことなく、公立の大学院までいき、卒業することができました。
その後上場企業に就職することができました。
そんな私が思う子供の勉強できない問題に対する思いを綴った記事です。
親にも責任があるのでは。
子供が勉強できない!
そう思って躍起になって塾や家庭教師にお金使ってないですか。
それ無駄使いかもです。
なんてったっておそらく勉強する土台ができてないのですから。
たとえば家を建てるとして
その土地がでこぼこしていたらまず平にならしますよね。
勉強に関しても同じだと思います。
特に勉強できない!って嘆いている親御様方。
今の子供の勉強に対する土台って多分でこぼこなんだと思います。
まずはそれを平にして勉強するという土台をつくってあげなくてはいけない。
しかしでこぼこのまま、その上にむりやり勉強という家を建てようとして、塾なり家庭教師なりにお金使ってるのだと思います。
それ無理じゃね。
って思いませんか。
他でもない親にはそのでこぼこを少なくとも平にしてあげなくてはいけない責任があると思います。
要は勉強の土台を作るのは親の責任です。
理由1:学校は社会生活を学ぶ場所
そんなの学校が担うべきだ!という思いをお持ちかもしれませんが、
私は学校、特に勉強の土台ができていた方が良いと思う段階である小中学校はあくまで社会生活を学ぶ場所だと思います。
会社は学校じゃねぇんだよ!なんてドラマが流行ってたりしますが、
会社員やってるとたまに会社も学校と同じだなって思うことがあります。
特に小中学校はみんなが同じことを同じように行うことを未だに強要されてたりしますよね。
会社も大体同じです。会社の大きな目標があってそれを各々のポジションの中で遂行していくように強要されています。
日本の昔からある会社はよりそういう意識が強いですよね。
それはいいとして、小中学校の教育ってまだまだそういったエリート会社員を作るための機関だったりするわけです。
それの方法が基礎学習とでも言い換えれますでしょうか。
要は勉強が目的ではない。
私はそう思います。
理由2:家に「勉強」がない
じゃ勉強は誰が教えてくれるのか。
当然その入口という意味合いでは学校が教えてくれると思います。
要は国語、算数、理科、社会…。っていう学問があるんだよ~。
くらいの感覚です。
もう少し言えば、算数っていう学問の中には、足し算っていうものもあるし引き算っていうものもあったりするんだよ~。
くらいですかね。
しかしながら勉強の土台ができ上がっていなければ、
あーそういうのもあるのか~。
くらいにしか子供は思っていないのではないでしょうか。
つまり勉強ができない子供の完成です。
逆に勉強できる子供だとすれば、足し算ってどうしてできたんだろう。
引き算ってどうしてできたんだろう。誰がつくったのだろう。
あれ、掛け算ってものもあるんだ、分数って面白そう。
なんて風にどんどん自分で進んで行ったりします。
なんで差が生まれるのか。
ズバリ家に「勉強」がないからです。
先ほど学校はエリート会社員を作るための機関だと言いました。
子供たちってそういうの割と嗅ぎ取ってると思います。
だからその方法である勉強するということに意外と目が向かない。
この辺は学校の教育方針とかが曖昧だという理由もあるでしょうが。
まあいいとして、
なんとなく学校行ってなんとなくみんなと同じことして家路に着く。
家ではというと両親共働きで、両親ともヘトヘトになって帰ってきて
ご飯食べて、お風呂入って、寝る前にスマホいじって、、、
なんていう風な光景子供は見てますよ。
それが子供が思う我が家の当たり前になってますよ。
あれ家庭に「勉強」って入ってなくないですか。
それなのに宿題やれだの。塾行けだのって感じになってないですか。
言われたからした方なく従ってるだけってなってませんか。
これじゃいつまで経っても勉強の土台ってできあがらないと思います。
じゃどうすればいいか。
手っ取り早いのは親が勉強すればいいんです。
なんでもいいと思います。
仕事に関するスキルアップでも、趣味にしてることを深堀してみるでも。
要は家庭に「勉強」を取り入れてあげる必要があります。
できれば子供が小学校に入る前からしてあげることが理想です。
そうすれば子供も自然と家庭に「勉強」があることが当たり前になってくるからです。
その状態をつくってください。
理由3:勉強する目的を伝えられていない
勉強の目的って自分が知りたいことを自分で知るためのものさしをつくることだと思います。
このことをどこで教わるか。
私はエリート会社員を作るための学校でも、
勉強の土台を得た上でさらに上を目指す人をサポートするための塾でも家庭教師でもなく、
他でもない親が教える必要があると思います。
親が家で何か勉強し、それを達成する姿を子供は見てます。
たとえば今更と思いながら漢検3級くらい目指そうとして必死に勉強したりします。
受かった!って家族と共有してみると。
子供は、あれ勉強ってなんか楽しそう。
って思いませんか。
少なくとも、「子供に勉強しろ!」
という言葉に説得力が出るはずです。
良い大学に入って大企業に就職するためにも確かに勉強は必要です。
このことを目的に勉強させようとしていないでしょうか。
でもそれって小中学生の子供からすればかなり先の話で、説得力にかけると思います。
正直勉強の土台ができていれば、いい大学に入って気づけば大企業に就職してた。
という過去形が正しいと思います。
家庭環境に勉強が当たり前に入っていると、子供は自然と勉強が当たり前になってくると思います。
そうすることで勉強の土台が出来上がっていきます。
勉強の目的を教えるということは正直外注できることではないと思います。
もちろん世の中にはそれを教えてくれる素晴らしい先生方もいますが少数だと思います。
他でもない親がその目的を教えるべきです。
手っ取り早いのは親が自ら勉強して何か達成する姿を見せることです。
かくいう私の場合
ここからは余談ですが、
決して裕福ではなく、中卒ブルーワーカーの親を持ち、家庭に「勉強」がなかった私が、一切塾にもいかず結果として大学院に進み上場企業に入れたのかについてお伝えします。
なぜ勉強の土台ができあがったのか。
今思うきっかけは小学校1年生の時にテストで0点を取ったからだと思います。
家に持ち帰り家族に見せました。
家族の落胆している表情に落ち込みました。
それが嫌で嫌でたまりませんでした。
おそらくきっかけはこの経験です。
そこからは別に家族から勉強しろ!と言われなくてもやってました。
というか我が家では勉強に関して、田舎で中卒が当たり前みたいな時代背景もありみんな無関心でした。
テスト勉強をしようものなら平気で夜中の0時過ぎまでやってました。
一回のテストでノート2~3冊を余裕で使ってました。
ひたすら教科書を読んで、問題集を反復して、授業のノートを何度も書き写してました。
正直周りの何倍も勉強に時間を使っていました。
そして念願の100点を取りました。
その時の達成感が私の勉強するという土台を完成させたのだと思います。
要は自分なりの勉強方法が身についたということだと思います。
一度完成させればあとは応用がいくらでもできます。
そこからは100点を量産。
高校卒業までテストというテストでは常に成績トップを維持していました。
勉強の土台ができたためのただの結果論です。
私の場合、ある意味で家族の落胆をきっかけに勉強の土台が作られていきました。
親にも責任があるのでは
私の場合はある意味で家庭に「勉強」がなさすぎたので奇しくも勉強の土台がつくられていきました。
しかしながらこのような家庭環境はもう絶滅危惧種だと思います。
今のご時世その気になれば家庭に勉強を持ち込めるツールはスマホ一台あれば可能です。
それを利用しない手はない。
仕事が忙しいかもしれません。そんな余裕がないかもしれません。
しかし勉強の土台を作るのは他でもない親の責任だと思います。
ご飯を食べさせてあげるのと同じくらいの位置付けだと思います。
そこから目を背けて学校、塾、家庭教師などに外注することは不可能です。
今まさに変化しようとしている時代の中で、勉強することは生きていくために必要不可欠なことです。
それは子供だけじゃなく社会に出て働いている我々大人も同じだと思います。
学ぶことをやめたらもう人生終わるみたいな世の中に生きている。
怖いこと言うようですが、
誰がメタバースのような仮想現実を予想できたでしょうか。
誰が月に旅行できるなんてことを予想できたでしょうか。
これらはすでに私たちの生きている世の中に起きている事実です。
時代に取り残されないように、子供より勉強して生きましょう。
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